大判例

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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)8773号 判決

原告

土屋正光

外三名

右四名代理人

小島成一

外九名

被告

帝都高速度交通営団

右代表者

荒木茂久二

右訴訟代理人

馬塲東作

外一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(請求の趣旨)

一  原告らが被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

(答弁)

主文同旨

第二  当事者の主張

(請求原因)

一  原告らは、いずれも昭和二五年一〇月以前に、被告に雇用された。なお原告らは、被告の従業員をもつて組織された帝都高速度交通営団労働組合の組合員であつた。

二  被告は、原告らが昭和二五年一〇月二八日付で被告を依願退職したと主張し、原告らが被告に対し、雇用契約上の権利を有することを争つている。

三  よつて原告らは被告に対し、右権利を有することの確認を求める。

(答弁)

請求原因第一・二項の事実は認める。

(抗弁)

一  本訴請求は、訴権の濫用として、また既判力に牴触するから許されない。

(一) 被告は、昭和二五年一〇月二九日、原告らに対し解雇の意思表示をした。原告らは、その効力を争い、本訴被告を被告として東京地方裁判所に解雇無効確認請求の訴えを提起した(昭和二六年(ワ)第四八九九号、第六〇六〇号事件)。右事件において、昭和二六年一〇月二九日、原告らを含む右事件原告らと被告との間に、次のような内容の訴訟上の和解が成立し、和解調書が作成された(以下この和解を本件和解という。)。

1 原告らは、昭和二五年一〇月二八日付で、被告を依願退職したものとする。

2 被告は、原告らに対し、金一、八六五、四五二円を訴訟費用として支払うこと。

3 被告は、原告らに対し前項にかかげる金額のほか、規定の退職金を支払うこと。

4 原告らは、その余の請求を放棄すること。〈以下省略〉

理由

一請求原因第一項の事実(原告らと被告との間の雇用契約の締結)および抗弁第一項(一)の事実(解雇の意思表示から本件和解の成立まで)は、当事者間に争いがない。

二訴訟上の和解の既判力について

訴訟上の和解の無効または取消の原因として、判決の再審事由に該当する場合に限らず、当事者の意思表示の瑕疵に基づく無効事由の主張を認めるかどうかについては争いがあるが、その主張を許すべきものとしても、問題となるのはその無効の主張方法をどこまで認めるかである。

民事訴訟法第二〇三条が、和解を調書に記載したときは、その記載は確定判決と同一の効力を有することを明言していることと、訴訟が紛争解決の終局的な場面であり、当事者がそこにおいて紛争の解決を意図して和解をしたことに思いをいたせば、和解の無効の主張方法についてあまりに多種多様の形式を許すことは、本来明確であるべき訴訟上の手段として妥当ではない。

したがつて、その主張方法としてどれが最も適切であるかはともかくとして(前訴について期日指定の申立をしてその続行を認めるとか、あるいは和解無効確認の訴え、請求異議の訴え等による和解の効力の確定が考えられる。)、少なくとも右のような訴訟手続あるいは独立の訴えによつて和解の無効が終局的に確定されない限り、訴訟上の和解が当然無効であることを前提として、別訴の攻撃防禦方法として訴訟上の和解が無効であると主張することは許されないと解するのが相当である。すなわち、別訴において和解自体の無効が終局的に確定されない限り、その和解は、その限度で既判力があり、後訴裁判所の判断を拘束するから、後訴裁判所は、和解条項に定められた法律関係と反する判断をすることはできないのである。もしも、別訴の攻撃防禦の方法として訴訟上の和解の無効を主張することが許されるとするならば、訴訟上の和解の効力がいくつかの訴訟において争点となつている場合には、この点に関する裁判所の結論が区々となるおそれさえある。これは当事者間の法的安定性を著しく害することになり、訴訟上の和解が裁判所において裁判所が関与してなされた手続であることにかんがみれば、到底容認できる事態ではない。

本件においては、原告らによつて本件和解の終局的無効を確定する手続や訴訟は経由されていないから、原告らの本件和解が無効であるとの主張は許されないものといわざるをえない。そうすると、本件和解の「原告らは、昭和二五年一〇月二八日付で、被告を依願退職したものとする。」という条項は、原告らと被告との間には、雇用契約が存在しないことを確定したものであるから、右雇用契約が依然として存在し、原告らが被告に対して雇用契約上の権利を有するという原告らの主張は、本件和解と相反する法律関係の主張ということになつて許されない。当裁判所としても、本件和解によつて確定された法律関係と異なる判断をすることはできないから、原告らの請求は、この点において既に失当である。

三雇用契約の合意解除について

原告らが昭和二六年一〇月二九日本件和解調書第一項により昭和二五年一〇月二八日付で被告営団を退職する旨の合意をしたことは、当事者間に争いない。そこで以下右合意解除の効力について、念のため付言する。

(一)  本件和解は無効な解雇の承認を内容とするものであるから無効であるとの主張について

前記当事者間に争いない事実と、原告らが被告が昭和二五年一〇月二九日原告らに対してした解雇の意思表示が無効であると主張して、本訴被告を被告として提起した解雇無効確認請求訴訟において本件和解が成立したことから見れば本件和解中の「原告らは、昭和二五年一〇月二八日付で、被告を依願退職したものとする。」との条項の趣旨は、被告は先にした原告らに対する解雇の意思表示を黙示的に撤回し、改めて原告らと被告間の雇用契約を両者間で合意解除し、その効果の発生を昭和二五年一〇月二八日にさかのぼらせたものと解される。

解雇の意思表示という形成権が行使されたが、それが無効である場合、意思表示の相手方がその意思表示を承認することによつて、無効な解雇の意思表示が有効になる理由もないから、原告らの主張する無効な解雇の承認とは、いかなる法律効果の発生をいうのか明らかではない。無効な解雇の承認によつて、解雇の効力を争わないことを約したという趣旨ならば、現に解雇の効力を争つていることと矛盾するし、何故に解雇の効力を争わない約束が無効となるかも理解できない。のみならず、本件和解は、解雇の意思表示の撤回を黙示的に前提としたものであつて、原告らが無効と主張する解雇の意思表示をそのままにし、原告らがこれを承認するという行為によつて成立したものでないことは、前認定により明白である。したがつて、原告らの右主張は、この点において採用に値しないのである。

なお、雇用契約は、当事者が合意の上処分することを妨げないから、当事者が和解によつて雇用契約を合意解除すること自体は、何ら公序良俗に反するものではない。本件和解調書による合意解除によつて、結果的には、原告らと被告間に当初の解雇が有効であつたならば存在したであろうと同様の法律関係(いずれにしても雇用契約が終了するという点において)が新たに作り出されたに過ぎないのである。このような場合には、当初の解雇は和解の縁由に過ぎず、その目的ではないから、仮にその解雇の意思表示が公序良俗に反し無効であつたとしても、和解の効力に影響を及ぼすものではない。けだし、これによつて、公序良俗に反する法律関係を有効と確定したものではないからである。

このことは、国家が終局的な紛争解決の制度として民事訴訟上和解という制度を設けた目的に照らしても、肯認されるところである。すなわち解雇の効力が争われている訴訟において、当事者双方が互譲の上この点に関する争いをやめ、形式的にはもちろん実質的にも、当初の解雇とは異なる雇用契約の合意解除という方法を任意に選択し、その旨の和解調書を作成した以上、その和解に当初の解雇が無効であれば、これと相反する法律効果をもたらす合意解除の条項が含まれているからといつて、国家がこれに介入し、右合意は、無効の解雇を承認するに帰するから無効であると宣言することは、和解制度の目的に著しく背馳して到底採用に値しない見解である。当初の解雇が思想、信条の自由の尊重という憲法に定められた公序に反するものであつたとしても、結論は異ならない。

もしも、当初の解雇が無効の場合には、その効力を争う訴訟においてなされた雇用契約合意解除の和解も無効となるとするならば、和解成立後にも当初の解雇の効力に関する紛争がむし返され、この点の争いを解決するために和解をした意味は全く失われてしまう。また原告らの主張のとおりとするならば、解雇が有効か無効かを確定し、解雇が有効な場合には、合意解除の和解が有効になり、解雇が無効な場合には、合意解除の和解が無効ということになるから、和解前に解雇の効力を終局的に確定しなければならないことになるが、そのための有効な手続や制度は存在しない。したがつて、解雇無効確認の訴えにおいて当事者間に退職の合意が成立しても、裁判所は和解調書を作成できないことになる。いずれにしても、原告らの主張によれば、解雇無効確認請求訴訟における和解の効用は、大半消失してしまうものであつて、労働者にとつても一般的には決して有利な結果とはならないのである。

よつて、原告らの右主張は、採用できない。

(二)  本件和解は暴利行為であるから無効であるとの主張について

法律行為が暴利行為に該当して無効であるというためには、他人の窮迫、軽率または無経験などに乗じて甚だしく不相当の財産的給付を約させる行為であることを必要とする。雇用契約の合意解除は、財産的給付を必然的に随伴する行為ではないから、それ自体暴利行為の評価に親しまない行為である。それにもかかわらず、本件においては、後記認定のとおり、原告らが財産的給付を約したのではなく、逆に被告が原告らに対し財産的給付を約しているのであるから、これを暴利行為と解する余地はないのである。

この間の事情を詳述すれば、次のとおりである。解雇された労働者は、程度の差はあつても、常に経済的には困窮状態にあるのが通例である。その所属する労働組合からの支援を終始受けられるとも限らない。また、解雇無効確認の訴えにおいて、現に使用者に雇用されているかつての同僚が、解雇された労働者の側の証人になることは、多く期待できないことであるかもしれない。右のとおり原告らが窮迫状態にあつたことの根拠としてるる主張する事実は、解雇された労働者の場合にしばしばみられるところであつて、特殊の事例ではなく、これをもつて直ちに暴利行為の要件である窮迫状態にあつたということはできない。原告らがこの通常の状態以上に窮迫の状態にあつて、被告がこれに乗じて、本件合意解除の約束を取り付けたことを認めるに足りる証拠はない。

かえつて、〈証拠〉によれば、被告営団において、整理実施要領に基づき従業員を解雇する場合は、被解雇者は、退職金支払規程中に定める被告の都合による退職金のほか解雇予告手当(平均賃金の三〇日分)が支給されるだけであつたが、本件和解においては、原告らは規定の退職金のほかに訴訟費用の支払いを受けることになつており、原告土屋正光は退職金二四〇、七九六円および訴訟費用一〇四、〇八八円を、同山本二二男は退職金一九三、二二〇円および訴訟費用八六六、九一二円を、同藤原巌は退職金二〇、一八五円および訴訟費用七三、一七六円を、同小林栄は退職金四六、八四四円および訴訟費用七五、四一一円をそれぞれ受領していることが認められる。右の事実と弁論の全趣旨によれば、原告らは、当時の諸般の情勢を考慮し、あくまでも被告と解雇の効力についての争いを続けるよりは、退職金のほかに相当額の金員を訴訟費用の名目をもつて受領して、すなわち、解雇の場合よりも有利な条件で和解に応ずる方がこの際得策であるとの自主的な比較考量と判断をして、訴訟代理人とも十分協議の上(証拠によれば、本件和解には原告ら訴訟代理人として弁護士が関与していることが認められる。)、本件和解を成立させたものと推認されるのである。

また原告らが前認定のとおり、本件和解によつて、当時としてはかなりの金額と評価すべき訴訟費用名義の金員を受領している事実に照らしても、本件和解が被告に過当の利益をもたらしたものとは認められない。かえつて、同種事件の和解例から見れば、原告らの収受した金員は相当なものであつて、原告らにとつて、金銭的にも少しも不利な和解ではなかつたと認められるのである。

したがつて、原告らの暴利行為の主張も採用の限りではない。

(三)  以上述べたとおり、本件和解が無効であるとの主張は認められないから、原告らと被告との間の雇用契約は、昭和二五年一〇月二八日付で合意解除により消滅した。したがつて、雇用契約の存続を前提とする原告らの請求は、この点においても失当である。

四よつて、原告らの請求は、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(岩村弘雄 矢崎秀一 飯塚勝)

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